新しい住まいを得ようとするとき、その姿カタチとしては様々なスタイルを選択することができるようになりました。住宅においても、和風や洋風、北欧スタイル、シンプル・モダンなスタイルなど実に様々な選択肢があります。しかし、これほどまでに増えた選択肢の中から選ぼうとしても、うまくいかないことも多いものです。たとえば間取りが生活習慣に合わなかったり、気候風土に適さなかったり。本来、住まいのデザインとは、暮らしのなかの「役割」にあわせて創り出されるものだと思います。
 どのようなものであれ、それが何らかの役割を得たときに、生き生きと輝きはじめるということはないでしょうか。単なる板の切れ端が小物を置く棚板になったり、不揃いの石ころが並べられて独特の味わいをもった舗装になったり。 ただ何となく存在するのではなく、きちんと役割を得て存在しているものには愛着がわいたり、かけがえのなさが芽生えたりすると思うのです。

 僕が師匠のもとで仕事をしていた頃の話です。
 ある住宅で防犯上の理由から窓の室内側に木製の格子を設置することになっていました。材料として赤味の松を使うことにしました。師匠の過去の図面を参照し、きりりと引き締まったデザインにしたつもりだったのですが、それを見た師匠に叱られました。「オマエは木を全部同じだと思っているのか!」と。
 改めて見てみると、過去のデザインではナラの木、つまり硬い樹種が選ばれていたのです。硬いから永年たっても角が欠けることがない。だからきりりと引き締まった格子のデザインが似合う。
  一方で松は柔らかいから、角をあらかじめ削っておかないと永年の間にみすぼらしくなってしまう。角を削ると引き締まった感じにならないので、逆にすこし華奢な雰囲気の格子のデザインが似合う。
  同じ格子といえども使う材料の種類によって、それぞれ似合うデザインがあるのです。ですから、部屋の用途や雰囲気に合わせて材料とデザインを使い分けるのです。ものごとを適材適所に使用することの繊細さを、僕はこのときにつよく感じました。永年にわたって愛着をもてる本質的なカタチというのは、決してデザインの派手さのなかにあるのではなく、住まいのなかの地味で些細な部分にこそ潜んでいるようにも思います。
 新しく住まいをつくるときには、自分たちの暮らしにとって何が必要なのかをしっかりと見通すことが大切だと考えています。そしてその必要なものを適材適所、役割に応じて簡潔につくること。そこには理にかなったものだけがつくる独特の美しさが宿ると思います。そして、住まい手の生活に即した、世界にまたとない独自の個性が表れることだと思います。