僕がある初老の夫婦の家を設計したときの話です。
敷地は東京の住宅地。古くからある静かな街でした。建て主が先代から受け継いだその土地には、半世紀近くにわたって建つ古い家があり、老朽化のため建て替えをすることになったのです。家自体はちいさく、特にかわったところのない佇まいだったのですが、永年の生活に耐えてきた風格のようなものがただよっていました。使いこまれた家具や食器、手入れのゆきとどいた庭木。それらは他人にとっては単なる古い物かもしれません。しかし初老の建て主にとって、幼少の頃から慣れ親しんだそれらの古い物は、想い出が詰まったかけがえのないものだったのでしょう。
 建て主は僕に言いました。
「ピカピカの新しい調度品を今からそろえるよりも、色のくすんだ古い物のほうが愛着をもてるし心が落ち着く。だからそれらをなるべく残して今後も共に過ごしたい。」
 僕はそんな気持ちにおおいに共感しました。古い物を捨て去ることは簡単です。しかし、アンティークとまで言わずとも、人の手によって大切にされたものには、新しいものにはない豊かさが備わっていると思うのです。それらを見たり使ったりすることを通して、物にまつわる物語を思い出す、というような。
 しかし古い物を残すには、さまざまな苦労がつきまといます。着工前には古い家具などは建物が完成するまで倉庫に預け、工事中に傷つかないよう庭木をしっかり養生しました。再利用したい建築部材やドアノブなどは、現場監督と一緒にひとつひとつ丁寧に取り外していきました。そして何より重要なのは、あらかじめ古い物が調和する家のデザインをすることなのです。

 新しい家は、以前とまったく異なるデザインにしました。
 くるくると回遊できる簡潔な間取り。家の立ち姿は、軒が出て雨風から建物を守る単純な形にしました。その中のあちらこちらに古い家具を置き直すように計画し、それらにあわせて新しい物を決めていきました。家の仕上げ材料も、時間とともに味わいを増していくような素材を選び、古い家具や庭木に調和するように考えました。そして何より幸いなことは、昔からあったものをこれからも大切にしようとする我々の気持ちを、家の作り手である工務店の現場監督がとても深く理解してくれたことでした。彼もまた僕と同じように若手の監督でしたが、そのぶん本当によく話をしました。どんな家を求めたいのかがはっきりしているからこそ、お互いに意思疎通をして楽しく家づくりに向き合えたのだと思います。求める家に妥協がないように、彼は自らすすんで工法の研究や素材の調合をして見せてくれたり、作業に適した職人を一生懸命探して手配してくれたり、段取りを工夫して予算に合うよう努力してくれたりしたのです。

 そのような人々の心に支えられて家は完成し、もう5年という月日が過ぎました。古くからある物と、新しくつくられた家がゆっくりと馴染んできました。それは単に姿かたちのデザインの調和ということではありません。最近施主から「家にいることが楽しい。なにかこう、あたたかい」と言われました。それはつまり、昔からあったものを大切にすることを通して、家づくりに関わった人々の心が住まいに宿ったということではないでしょうか。姿かたちのデザインそのものが目的なのではなく、そのなかに宿るものをまっすぐに見通すこと。それが家づくりの本質のように思えるのです。