最近では、純粋な和風の造りの住宅はとても数が少なくなりました。理由としては、和室をきちんと造るにはお金がかかること、そもそもライフスタイルが和風には向かなくなったこと、柱や梁を隠して壁をすべて覆ってしまうための廉価な建材の普及、気密断熱の必要性など、様々な要因が挙げられます。そうして、フローリングなどの床座に、白くプレーンな表情の壁と天井というインテリアが多くなっています。
  しかし現在でも、和室を用意しておきたいという要望も多く見られます。理由としては、客間として利用したいこと、洗濯物をたたんだりするのにも便利、ついでに冬にコタツに入るのが好き、というような話が多く、純粋な和室をきちんとしつらえるというよりも、6畳程度の広さの多目的な「畳スペース」といった主旨が多いようです。

 ただ、畳スペースという扱いであっても、僕は設計するときにいつも心掛けることがあります。それは、畳に座る、という基本姿勢のなかから育まれた、日本の文化を大切にしたいという思いです。僕の場合は、各部の寸法の決定に細かく注意を払います。現在でも部屋の広さを把握するときに、何畳、何坪という表現を用いますが、本来高さに関しても「尺貫法」とよばれる特有の寸法体系があるのです。それは古来より慣習的に受け継がれてきたものですが、そうした寸法体系でつくられた部屋に座っていると、どこかしっくりくるように思います。通常からするとちょっと低めの天井や窓の高さが心地よく感じられるのです。
  無意識のうちに、日本古来の民族的な記憶が体のなかに宿っているのかも知れません。ですので、畳スペースがそのインテリアの仕上材料としては純粋な和風建築のものではなくても、窓や天井の高さ、建具の詳細な寸法に至るまで、慣習的に受け継がれてきた日本特有の寸法を用いて設計をするようにしています。そうすると、畳スペースの雰囲気に凛とした品格が表れますし、窓や障子を通して入ってくる光も、どこか翳りのある静かな雰囲気に包まれるように思います。単に畳が敷いてあればいいというのではなく、このような雰囲気をきちんとつくってこそはじめて、畳スペースを実に楽しく利用することができると思うのです。

 

 日常生活はいろいろな家具や道具、器類と共にあるものですが、それらは置かれる場所によって全く雰囲気が変わります。たとえば美術館の絵画も、展示の仕方によって良く思えたり悪く思えたりすることはないでしょうか。それと同じように、高価な家具も、置かれるスペースの雰囲気によって美術品のように見えたり成金趣味のように見えたりするでしょう。一方で単なる器も、簡素で美しいものに思えたり、ただの粗雑品のように見えたりもします。
  その昔、草庵茶室がこの世に登場した当初は、その室内で使用する道具は徹底して粗雑なものに限られていました。ほの暗い室内で、粗雑な器に柔らかな光が降り注ぐとき、逆にとても簡素で美しいものだと感じられる。そんな風な美徳がありました。現在の住まいに茶室の哲学をもちこむわけではありませんが、そんな独特の美徳は、大切にしたいと思っています。